香港セメタリーに眠る日本人

萬霊塔の前に咲く河津桜

   ハッピーバレー競馬場を望む湾仔の丘に「香港墳場Hong Kong Cemetery」という公有地があります。イギリス植民統治の初め1845年に設立された外国人墓地で、国籍や宗教に拠らず7,000以上の墓石が並んでいます。そこには約470柱の日本人の墓が点在し、私たちはその場所を総称して「香港日本人墓地」と呼んでいます。
   埋葬されているのは、明治時代の人々が大半で、主に20~30代です。開国した日本から、多くの若者が海を渡って行きました。記録をひも解くと、当時の香港には、国家プロジェクトを託された駐在員、立身出世の夢を描いた実業家、そして若い女性たちが暮らし、故郷の家族を想いながら、懸命に働いていたことがわかります。その逸話をいくつかご紹介します。

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明治開国から大正期にかけて(1878〜1918)
1. フランス文豪と出会った陸軍留学生
湯川温作 1878(明治11)年8月5日 享年22
2. 香港航路を開いた三菱初代支配人
本田政次郎 1880(明治13)年11月2日 享年35
3. 女性たちが建てた「からゆきさん」の墓
木谷サキ 1884(明治17)年6月8日 享年30
4. 香港に生まれた、三井支配人の娘
福原香世 1892(明治25)年5月28日 生後5カ月
5. 銀を金に換えた横濱正金バンカー
廣田耕吉 1900(明治33)年7月30日没 享年29
6. 総合商社の源流となった香港ドリーム
堀井彌三郎 1904(明治37)年6月20日 享年25
7. 孫文を支援した日本人と「辰丸事件」
照峰廣吉1908(明治41)年3月28日没 享年33
8. 競馬場大火災で亡くなった旅館の主人
松原治三郎 1918(大正7)年3月7日没 享年54
9. 異郷に眠る人々の慰霊碑
萬霊塔 1919(大正8)年2月26日建立
河津桜 2004(平成16)年2月14日植樹